1人ひとりの「思い」を実現し、1人ひとりの「心に」とどく議員として、私たちの可能性を形にしよう。


さいたま市会議員つるさき敏康(鶴崎敏康)
水と緑、光と風
さいたま市会議員つるさき敏康(鶴崎敏康)見沼区
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つるさき敏康
著作物
誰も知らない埼玉


「誰も知らない埼玉」
[初版 2018年2月]

 私の、<埼玉シリーズ>第3弾がでました!
第1弾は、さいたま市の魅力や秘密をダイタンに紹介した作品。
第2弾は、埼玉県の「すべて」を分析した作品。
そして、第3弾は、書名のとおり、「誰も知らない」ことばかりを集めた作品になっています。

○さきたま出版会刊 1,900円+税

埼玉の街ものがたり92


(裏表紙)



埼玉の街ものがたり92


「埼玉の街ものがたり92」
[初版 2014年11月]

 前著「<さいたま>の秘密と魅力」大好評をいただき、今回は<埼玉県>のすべての街を紹介する「埼玉の街ものがたり92」を書きました。
埼玉県の<知られざる>多くのことが、どの他の本にも書かれていない内容がこの本で分かります。

○埼玉新聞社刊 2,500円+税

埼玉の街ものがたり92


(裏表紙)

さいたまの秘密と魅力


「さいたまの秘密と魅力」
[初版 2010年4月]

○埼玉新聞社刊 2,500円+税

[埼玉新聞 平成22年5月9日の紹介記事]

さいたまの秘密と魅力
アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい

[毎日新聞 昭和63年7月18日の紹介記事]

アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい

「アカシアの雨に打たれて
このまま死んでしまいたい」
[初版 1988年6月]

全共闘から対抗社会へ

「全共闘から対抗社会へ」
[初版 1986年3月]

革命の現象学

「革命の現象学」
[初版 1978年7月]

その他共著、雑誌論文 多数発表。

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今から、ほぼ4年前。
忘れもしない、あの日−−3月11日。

あの運命の日から、この国の多くのことが変わった。

ずっ〜と前、この国は「戦争」をした。 そして敗戦がこの国を変えた。
少し前、この国は「高度成長」という輝かしく、力強い時代を体験した。
そして、ほんのちょっと前、「バブル」というおかしな時代も過ごしてきた。

そして、あの<3月11日>−−。
あの震災をキッカケに、この国は確実に変わった。
国や社会も変わったが、同時に<人の心>も変わったのだ。

あの直後、テレビではこんな詩が流れていた。

「こころ」は誰にも見えないけれど、「こころづかい」は見える。
「思い」は見えないけれど、「思いやり」はだれにでも見える。
(埼玉県が生み、元大宮市教育委員長だった詩人・宮沢章二氏の詩「行為の意味」の一部)

わたしたちは今、あの日を境にして、
「思いやり」や「心づかい」を大切にする
    本来の日本人の心に目覚めたのかもしれない。

市政だって、おんなじだ。
一つひとつの政策に、「思いやり」や「心づかい」が見えなければ意味がない。
市政は、一人ひとりの「思い」を実現するものでなければならず、
    一人ひとりの「心に」確実に届くものでなければならない。

山積する問題すべて、「思いやり」と「心づかい」で取り組んでいかなければならい。
そのためには「議員」という立場からではなく、
    一人の「市民」という立場から、この街を見ていかなければならない。

私が、もし間違っていたら、ぜひ指摘していただきたい。
みんなで、「見沼区」をよくしていけばいいのだ。
みんなで、「さいたま市」を創っていけばいいのだ−−と心から思っている。

さいたま市議会議員  つるさき敏康

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私が生まれたのは、1949年である。
そう、いわゆる<団塊の世代>である。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の情景の中で、私は少年期を過した。
まだ戦後の風景を色こく残していた時代でもあった。
貧しくても、みんなが元気で、明日の希望があった時代である。
みんなが、今日より明日のほうが、絶対にいい日だと信じていた時代である。
ケータイもパソコンもなかったが、人びとの顔に<笑顔>と<自信>が、みなぎっていた。

そのころの私は、「鉄人28号」にあこがれ、操縦者の「金田正太郎君」になりたいと、
本気で考えていた−−− そんなノンキな夢さえ、「原っぱ」にはゴロゴロころがっていた。

それとは対照的に今の時代。
「モノ」があふれ、コンビニには、なんでもそろっている。
「百円ショップ」が街のあちこちに出現し、反対に高級「ブランド店」などもある。
まさに何でも手に入る、便利で、裕福な時代になった。
しかし、同時に、なくなったものもたくさんある。
街から<鼻たらしのわんぱく小僧>が消え、若者たちの顔に<希望>が見えなくなり、
大人たちの後姿から<自信>が感じられなくなってしまった。
この国から、<未来>や<希望>、そして<自信>などが感じられなくなってしまったのだ。

国が悪い、政治がダメだから、と決めつけるのは簡単だ。
しかし、そんなことでは問題はいっこうに解決しない。
一人ひとりが、まず出来ること−−− 私たちの「見沼区」を、<希望>や<未来>、
<自信>があふれる街にすることから、はじめようではないか。
そしてその勢いを「さいたま市」へとひろげていくことからしか、
この国は変わらないのかもしれない。

だけど、こうした取り組みは、一人で出来るものでもない。
みんなの思い、みんなの力が一つにならなければ、実現は不可能である。
私といっしょに、いきいきした「見沼」「さいたま」を創っていきましょう。
あなたの<力>を、私に、貸してください。

さいたま市議会議員  つるさき敏康

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あれはいつだったのだろう?
小学4年生のときだったのか、6年生のときだったのか、記憶がはっきりしない。
しかし、そのときの<会話>は、なぜかはっきり覚えている。まだまだ世の中の何もわかっていない小学生の私が、父親にめずらしく大人っぽい質問をしていたときの光景を、今でも覚えている。
 「世の中で偉い人ってどんな人なの?」
 「そうだな、いろいろいるが、やっぱりいちばん偉い人は、他人(ひと)のために生きられる人だろうな−−−」
まだ幼かった私には、よく理解できなかった。
あれから何年たったのだろう。

先日、拙著「<さいたま>の秘密と魅力」を購入したという一人のご老人(失礼かな?)が、わざわざ私の自宅を訪ねてきてくれた。話をした後、彼はその本にサインをしてもらいたい、といった。私はいつものように、

  敬 天 愛 人

と、かなり下手くそな字でサインをした。すると彼は
 「鶴崎さんは、この言葉が好きなんですか」とたずねた。
 「四文字熟語では、この言葉と 一期一会がいちばん好きですね」と応えると、
 「人を愛する−−−という意味はわかりますが、天を敬うとは、どう解釈したらいいのでしょう」と、真剣なまなざしを私にむけてきた。私は、
 「<天>とは、<人びと>と思っています。<人>を愛する場合の<人>は、個人であり、<天>は、市民とか人民、国民と、私は考えています」と応えた。

市政にたずさわって26年以上の歳月が過ぎた。その間いつも心の底で感じていたことは、<民主主義>のような美しいコトバのわりに、<政治>はいつだって、顔の見えない多くの<人びと>、あるいは、<市民>といった抽象的な<人びと>のほうに重きをおいているのではないか、という疑念であった。それにたいして、一人ひとりの血の通った、<人>といった単位には、政治は関わろうとしてこなかった、のではないだろうか。

ふり返ってみて私の場合、市議26年の時間の中で、その大半のエネルギーを、<人>との交流の時間として費やしてきた。もっと言うならば、<市民>でも、大きな<団体>でもなく、一人ひとりの<人>を、私は何よりも大切にしてきた。
私には、大きな会社や大きな政党、あるいは巨大な組合や団体の後援もない。
私を支えてくれているのは、本当に一人ひとりの<人>たちである。
そうした一人ひとりの<人>の悩みや、困ったことに、私は全力を傾けてきた。確かに大きな政治を動かすのは、大きな<人びと>のかたまりかもしれない。しかし同時に、一人ひとりの<悩み>に、光をあてない政治なんか、「クソクラエだ!」と私は思う。

私が幼いころ、父から聞いた、「人のためになる」−−−
         という言葉が、私の記憶の中にしみこんでいたのであろう。
私は、知らず知らずのうちに、「人のためになる」−−−
         という人生を、選択していたのかもしれない。

そして、これからも、あらゆるところで、私は、
         「人のために働いていきたい」−−−と、思っている。

さいたま市議会議員  つるさき敏康

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